No 40
絵本のタイトル またもりへ
作者 マリー・ホール・エッツ
マリー・ホール・エッツ
訳者 間崎ルリ子
出版社 福音館書店

40  『 またもりへ 』

絵本に限らず、表紙をめくると、表紙と中身とを繋ぐ見返しという部分があります。絵本の場合、見返しは、ピーター・スピアーのように、一枚でも紙面を残したらもったいないといわんばかりに絵を描き込んでいくなど、本の内容や作家の個性に応じてさまざまですが、扉を開けた興奮を少し鎮めるように、無地か落ち着いた色調の紙が使われている場合が多くあるように感じます。

エッツの作品では、その絵とマッチしたシンプルな見返しとなっていますが、『また もりへ』においては、エッツには珍しく、輪郭だけ描かれた動物達が、森の中で少年を呼んでいる情景が描かれています。私は、実在の動物ではなく、動物あそびの中で演じた動物達だから、透き通るように輪郭だけ描いていると思っていましたが、先日ちょっと不思議な夢を見てからは、少し違った印象を持つようになりました。
その夢は、ストーリーがあるというのではなく、様々な場面がコマ送りのように変わっていったかと思うと、学生時代の見慣れた景色や仲間が、透き通って消えていくようなものでした。丁度目が覚める時だったので消えてしまうように感じたのかと思いましたが、卒業してもう何十年にもなるので、記憶が次第に薄れてきているということかもしれないという気もしてきたのです。そして、エッツが、その見返しの部分に透き通るように動物達を描いているのは、ひょっとしたら、自分の中で記憶が次第に希薄になってしまうことへの焦りを表現しているのかもしれないと思えてきました。

『また もりへ』は、「わいわい がやがや いう こえが きこえてきました。あまり さわがしいので、ぼくは、どうしたのだろうと おもって、もりへ みにいきました」という言葉で始まっています。しかし、「わいわい がやがや」という声は、森の中から聞こえてくるのではなく、エッツが『もりのなか』という作品を作り上げた後から、エッツ自身の心の中で、いつも響いている声だと思います。そして、そのざわめきがだんだん薄れているのではないかという不安が、見返しの、風景に溶け込んでしまいそうな動物として描かれているのではないかという気がしてきたのです。
この絵本は、以前ご紹介したエッツの代表作『もりのなか』の続編にあたる作品とされています。『もりのなか』は、エッツが森の中の家で病気の夫を看取りながら描いた作品とされ、名作といわれていますが、『また もりへ』に関しては、少し評価が低いようです。しかし、私には単なる続編としてではなく、なぜ『もりのなか』という作品が生まれたのかという答えを、夫の死後、森を離れたエッツが、自分の記憶を辿りながら整理をし、一つの区切りをつけようとした思いが感じられて、とても惹かれるのです。

『もりのなか』では、「さようならぁ、みんな まっててね。また こんど、さんぽに きたとき、さがすからね!」という言葉で、次に繋がることが示されています。しかし、『また もりへ』では、歳取ったぞうが、「さようなら」とだけ告げています。そして、ここには、森の中の体験として表現されている夫であるエッツ氏との思い出と決別し、新たな人生を踏み出そうとするエッツの思いが込められているように感じられるのです。さらに、『もりのなか』では父親に肩車されて森から帰っていった少年が、この作品の最後では、父親と手を繋いで森を出ていきます。ここからも、子どもの成長した姿として、一歩あゆみ出したエッツ自身の姿が示されているように感じます。また、父親がもう一方の手に、動物達から貰った花輪を持っていることも、このお話が単なるファンタジーではなく、自分の実際の体験であったことを明確にしたかったのではないかと思います。(T.S)

 

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