No 295
絵本のタイトル チェロの木
作者 いせ ひでこ
訳者
出版社 偕成社

295チェロの木

cheronokiスウェーデンでは中学から哲学の授業があり、その授業では「誰もいない深い森の中で1本の巨木が倒れた。その音は誰かの耳に届くのか」といった問いが出されている。こんな話を10年以上前に運転中のラジオで聞きました。それ以来、私だったらどう答えるのだろうかと、時折思い出しては考えているのですが、残念ながらこれだといった結論には至っていません。

この問いに対し、最初は萩原朔太郎の『およぐひと』(詩集『月に吠える』収録)に書かれている「およぐひとの瞳(め)はつりがねのひびきをききつつ」という一節をヒントに、耳ではなく、目で聞くという捉え方で考えていました。ところが、先日「楽器が奏でる樹の記憶」という講演記録(東京大学 杉田英明)を読み、別の考えも浮かんできました。

その講演内容は「琴馴らし」という道教の物語に関するもので、太古の昔、龍門の峡谷に立つ桐の巨木から仙人が作った不思議な琴は、どんな演奏家が試みても弾きこなすことができなかったのだが、最後に伯牙という奏者が現われ、そっと弦に触れると、古木の記憶がことごとく目を覚まして見事な調べを奏でた。伯牙いわく「他の人が失敗したのは、自分自身のことばかり歌ったからで、私は琴に自らの主題を選ばせた」というものでした。

そして、古木の記憶が目を覚ます、すなわち琴が自ら主題を選んで自ら語り始めるという発想に関連して紹介されていた絵本の1冊が、今回紹介する『チェロの木』でした。

この作品の内容は決して子ども向けというわけではないかもしれませんし、描かれている絵からも、情緒的な印象が強すぎると感じられるかもしれません。それでも今回紹介しようと思ったのは、いせ ひでこさんによって森の四季の移り変わりがこの上もなく美しく描かれていることに加え、祖父、父母、自分自身、さらに子どもたちへと、いのちや記憶が繋がって行くことがとても素敵に感じられたからで、皆さんとその思いを是非共有したいと思ったからです。

森の奥に巨大な樹が立っていたという記憶は、巨木が倒れた後もずっと、さまざまな形で引き継がれ、時を経、またさまざまな形で蘇ることができると考えるならば、冒頭の問いに対する答えもおのずから導き出されるのではないかと思います。(S.T)

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